秩父の大工さんのページ
り NO・1

   このページでは 秩父夜祭 川瀬祭り その他祭りについて画像をUPします。  
秩父夜祭 川瀬祭り等の起源 由来については学識者の書籍 HPを御覧下さい
私は本業が大工さんですので職人の目から見たり感じた事柄について少し説明 感想を書き込みます
                   まいどの事ですが 誤字脱字 文章になってない場合等ご理解の上 御覧下さい
                                                            
 
画像は秩父祭屋台保存修理事業報告書より



    


上町屋台の正面 後面です。この画像で残念なことがあります・・屋台中央の襖(ふすま)の並び順が間違ってる事です
本来は画像の4枚の内 右端の襖が左から2枚目に中の2枚がそれぞれ右に寄るのが正しい順です
これは今から25年前の屋台保存修理報告書に載せられた画像ですが この時誰もそれに気付かなかった事が残念で
しかし上町屋台の古い写真を見ると、この間違った順で写ってるのも沢山あります。宮地 中町 本町の襖は1枚でも順を間違えると
誰でもそれに気がつく絵柄ですので間違いはありません。私も当時大工になって3,4年でしたので気付きませんでした
現在では間違う事は有りません
もうひとつ気付くのは 引き綱の収め方です 画像では横8の字のように巻いてありますが下の画像の様にカンザシ(最先端の横木)に両側
一本ずつの綱をO字の様に巻き垂らす事です 理由は簡単で只 格好が良いだけです 反り木の端金物を傷める事も少なくなります
横8の字に収めると綱の 出し 巻きが簡単で変によじれない事は分ってますが・・・



上町屋台の後ろ幕は秩父のお祭り好き人なら誰でも知ってる 鯉の滝登りです 中央に金鱗の鯉が元気良く滝を跳ね昇ってる構図です
金銀糸で滝の水の落ちるのを表してますが 夜になると雪洞の灯りに照らされ滝の水が多すぎ中の鯉の姿が見えづらくなってしまいます
そこで 夜、屋台を引き出す前に縄暖簾(のれん)状に成って吊ってある滝の水を外して鯉が良く見える様にします・・・・
最近は昼間も外す場合も有ります

   
上町屋台後ろ幕  左 夜、滝の簾(スダレ)を外す(鯉が良く見える)  右 昼間 スダレを取り付けてある(鯉が見えない)
                                             *昭和58年池袋にて*

正しい襖の並び

          

他3町との襖の違い
上町の襖は他3町と柄等の他に違う所が有ります・襖の立ち方です・・右上の画像で分かるように
中2枚の襖が奥の敷居溝に立っていて両端は前に立ってます・・他3町はこの逆です・・私的には
上町が変わった立て方だと思います・・なぜなら本来、高貴な面(床の間のある部屋の側とか部屋の格式が高い側)に
中の2枚の襖が来るからです・・・楽屋側に中の2枚がいくのはおかしいかな?
そこで皆さんは「前後入れ替えれば・・」と思うでしょう・しかし その様に入れ替えると廻り舞台の方立てが見えてしまい
今まで以上に格好悪く不自然に成ってしまうのです・・・皆さんも今度気をつけて見てください。

三方 神酒スズ 幣

屋台の襖の前に紙の筒を2本立ててますが これを今現在立ててる屋台(上 中 本 宮地)は上町だけです
三方(台) ミキスズ(お神酒器) 幣の3つから成ってます   (このセットを何と呼ぶのか分かりません)
中近 下郷は漆塗りの三方 金箔押しミキスズ 金銀紙の御幣を立ててます・これらは大正11年秩父宮様が来秩
なされた時秩父神社に各屋台 笠鉾を飾り置きし その時取り付けたと聞きましたが定かでは有りません
現在中町 本町 宮地屋台には それが有りませんが 私が思うのに 引き踊りの時に支障に成るからだと思われま
上町は12月2日のみ引き踊り所作を奉納しますので神社に行くまでの2日午前 、3日はそれがあっても支障に成りません
引き踊りのない 中近 下郷笠鉾は支障に成りませんから今でもそれがあるのだと思われます
又 真柱(標木シメギ)全体を神様又は内室に神様が鎮座成されてると考えることで 御幣が置いて有るのでしょう


大正11年秩父宮様が来秩なされた時の写真  中町にもそれが見られる



   

上町屋台の両側面です
昭和12年の上町屋台大改修時に新しく付設された屋根部分の「妻の唐破風」です・・・上町ではそう呼びます
私が思うのには「切妻屋根」とは妻側(本来長方形の長い側を切った形)がそう呼ぶのであって軒側に付いた唐破風を
 「妻唐破風」と呼ぶのには疑問に感じます。「軒唐破風」と呼ぶのが正しいのではと・・・・・・・しかし収納箱には妻唐破
      と書いてあります・・・・・・「」には 両側とかの意味も有るようです

上2枚の画像を見て大工としての反省は後ろ幕がダッラッと吊ってあるところです
ボディコンみたいにピーンと張らなくても良いですが自然にすっきり吊る事が望ましいと思います

 
昭和55年〜56年の修理事業

○ 後ろ幕 水引幕の生地は 厚さ1.4mmの高級厚手本羅紗地 本絹糸 本金糸等使用  撥水加工

後ろ幕大きさ        たて 1m87.5cm    よこ   6m18cm

 水引幕大きさ        たて 65cm.65    よこ  13m62cm

○ 刺繍加工   駒取り. まつり縫い・ 飾縫い・ 肉入れ・ その他アップリケ刺繍            

   ○ 保存箱    杉板の片面に桐板を張り堅固に製作                               

後ろ幕  17.508.740円(事務費込み)        水引幕  25.420.000円(事務費込み)

   
   
        

  上町屋台の水引幕
復元修復費 25,420,000円(事務費込み)の水引幕
                                             
この幕が修復され 初めて屋台に吊るした年のこと
文化庁より役人様がお見えになり屋台の上(舞台)に乗ってきました。
 役人は素手で水引幕を撫でたり、触ったりで その出来に感心してました。
私は「町内から素手では絶対に触らぬよう強く言われているのですが」と言うと
 役人は「これからもその様にお願い致します」と言って屋台から降りていきました
  
四方唐破風屋根
 上町屋台は昭和12年に大改修を行いなした。今までの屋根は「前後唐破風屋根」でしたが 「四方唐破風屋根」にし、
その時「前後懸魚」(ゲギョ)を新規取替え 鬼板(ムネ飾り)は古い物の下に足し木をし、彫刻 彩色を施し現在も使ってます
古い唐破風・懸魚は今でも蔵に保管して有ります 現在より3代前の後ろ幕も保管してありますが、前回の後ろ幕新調時に
鯉の目玉を(ガラス製?)再利用ましたので鯉には目が無くボロボロです 前回まで使ってた後ろ幕には「矢尾商店謹製」と大きく
刺繍して有りましたので矢尾さんより多くの寄付金が有ったのでしょうか??                                  
舞台は高欄が廻ってましたが「昇り高欄」を付設・・・その時「腰支輪」を「波に亀」から今の「唐獅子に牡丹」の物に新規交換しています
古い「波に亀」の腰支輪は現在の「夏祭りの笠鉾の腰支輪」として再利用してます                                

私の勘違い・・・・・・秩父に多くの屋台が有りますが屋根の形が「四方唐破風」は上町屋台が初めてだと思ってまし
しかし 上町屋台より4年前(昭和8年)に夏祭りの東町屋台が 丸岡治助棟梁によって「四方唐破風屋根」として造り直されてます

私の想像ですが当時の上町の人達は屋台の大改修を行うのにあったって真新しい東町屋台を見て、『直すならこれだ!!』
と思ったのかも知れません。                                                          

   
   

左 大正14年上町屋台屋根                           右 現在の屋根  


鬼板・・・・大正時代と現在を比べると同じ「応婦人」ですが現在の婦人の足の下に岩の様な彫刻そして両端に牡丹の彫刻が足してあるのが分る

唐破風・・・・R部分が現在の方が大きい・大きな違いは大正時代が「昇り裏甲式屋根」 現在は「蓑甲屋根」屋根の縁に饅頭(丸い金物)がある 

懸魚・・・・両方比べると違いがすぐ分る 大正時代 竜が下を向いてる  現在 竜が上を向いてる  大きさも随分と違う              

    

昭和11年まで使用した唐破風(上町蔵の梁の上に保存してある)と懸魚・・・・立派な物です!!






1971年(昭和46年) 「秩父郡市文化財保護委員会発行」の秩父の文化財表紙カバーデザインに上町屋台が使われる
水引幕 後ろ幕があまりにもデコボコしていて気になります。一つ前の後ろ幕なので鯉の頭の形が少し細長い。

上町屋台の車輪は平成12年4月に新調した その車輪を初めて使用したのは
秩父市制50周年の奉曳の時だ・・・車輪を新しくする事は誰もが希望していた事だ

しかし 当時の町会のお偉方 そして車輪新調に携わった人達の考え方の浅さに失望した
新調前の車輪は大先輩棟梁に聞いても何時頃の物か判らないくらい古い物で確かに真っ黒で
木目も見えない程だった・・

車輪を新しくするには理由が有る訳で それは 車輪の穴(車軸を通す穴)が長年の使用で
大きくなり運行もしくは屋台自体に何らかの影響が出る事で止むを得ず取り替える事に成る

ところが 上町で新調した車輪は何と古い車輪の穴より既に大きい穴が掘られてた。。。ウツ!!

(車輪の穴は車軸が屋台全荷重を支えるだけの太さが入るだけの大きさで良い訳で・・)

なんて事をした! 新調した意味が無い お偉方 意味を分らない職人さんは車輪が綺麗で有れば良い
・・・そう思っていたのか  大金と貴重な大きなケヤキを100年分くらい無駄にした事になる・・・・。

追伸

焼き嵌めも上手とは言えなかった(私見)





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