私の独り言ですのであまり気を入れず御覧下さい
画像削除依頼はメールでお願いします


中近笠鉾の組み立て画像  何年前??
仕事の合間に秩父神社へ行っては撮ったものです
連続性に欠けてますがご理解下さい

席台?石台?せき台上の御幣が最近の形と違ってます
最近は榊が生長してると見えて毎年大きく成ってる様に見える
のは私だけでしょうか??
私的にはこの時代の御幣の形が好きです。花の垂れ形もgood.





    
札所2番 大棚山真福寺へ行ってきました。
このお寺は昔火災に遭い現在のお寺
に建替えられそうです。 以前は
南向き観音堂5間半四面で大きな
建物で他に 本堂 仁王門 羅漢堂 稲荷社
諏訪社等が有ったそうです・確かに向拝柱
(前の2本の柱)間の虹梁上 
蛙股には火災前のお堂の欄間らしき彫刻
が代用されてました・・
天蓋に笠鉾の笠が使われていると言う
話を聞いた事が有るので覗いて見ると
有りました・・これは秩父山田の春祭りで
曳かれる大棚笠鉾の物だそうです。
以前大棚笠鉾は5層の笠を付けて曳い
ていたそうですが2層目と4層目を外し
今の形に成ったそうで この天蓋笠は
2層目だそうです。





宮地屋台の古い写真(昭和20年代後半か?)を見ていたら違いを見つけました。ほうずき(軒提灯)の数が前側が昔は4個現在は5個
軒側が昔は5個現在は7個(隅の数は重複)  囃子手の人数が昔は6人現在4人 腰ぼんぼりの数も違い昔は下の2段は腰折れボン
ボリ
に成ってません 何時ごろ腰折れぼんぼりにしたのか判りませんが面白い話を聞いた事が有るのでお話します
「宮地屋台は秩父神社で毎年3日の夜の仕度をするそうです。本町の蔵を借りてボンボリを置いておくそうですが、翌年宮地のボンボ
リの数が 足らず本町に探しに来たそうです。そのボンボリは本町屋台付いていたとの事。それだけ似ているのでしょう。。本町のそ
れを雛形に作った物か?
もうひとつ しん綱を持ってる人がネクタイをしてる様に見えるのは私だけでしょうか古い画像をクリック



本町屋台組み立て  昔の画像

左画像は本町屋台、昭和初期の組み立て風景で、昔の祭り
写真を集めた本にはよく掲載されてる物です。大工さんの目で
よく見てたら面白いところに目が止まりました。それは組み立て
作業をしてる足場です。私にはどう見ても屋台の古い柱を
使ってる様に見えるのです。見付け柱は毎年削りますから
数十年使うと細くなり新しい柱に取り替える事になります 古い
柱を使ったのでしょう! それにしても見付け柱は 木曽桧クラス
の上等な木を使いますから贅沢な足場です 今、化粧垂木を
桁に挿してるところです。奥に少し写ってる
蔵が昔の本町蔵です 夏祭り屋台が無造作に入れて有ったのを
思い出します。



脇障子の写ってる画像 年代は不明大正期か??
下げ幕が下がってるが現在のそれとはまるっきし
違った物だ。色は赤なのだろうか?
幕の中で何か有ったらしく覗き込んでいる。
上町屋台の元脇障子が取り付けてある金仙寺 稲荷様
  左脇障子だった降り竜(脇障子の中の彫刻)
  現在は立て隠しとして使って有った。
    右脇障子だった昇り竜(脇障子の中の彫刻)  
  
上町の蔵には脇障子を入れていた箱はあります
天保11年と画いてあり張り出し舞台の芸座と同年です
社寺建築のこの場所を脇障子といいます 動く障子
ではありません
金仙寺和尚さんにお許しを頂き
元上町屋台に秩父で唯一付いていた脇障子
の写真を撮らさせて頂きました(天保11年から)又
花園 道の駅に展示してある屋台には脇障子が付いてます

下郷笠鉾旧万灯
屋形の付いていない時の下郷笠鉾万灯
    大野原 広見寺の正面額

前に聞いた事が有るので先日大野原の広見寺までカメラを持って行ってきました。
それは 旧下郷笠鉾の万灯が広見寺の正面額に再利用されてると言う事です
有りました!千鳥の数 位置等・・確かに下郷旧万灯でした・・どこかのHPに「残りの3面は何処に行ったのか?」
と有りましたが大工さんてきに考えると残りは1面になります
何故なら万灯額の縦枠は4つしか無いからです



昭和42年埼玉国体秩父公園にて 賜天覧



この写真を見ると私的には嬉しくなります・・なぜなら昭和天皇 皇后陛下が来秩なされて秩父の山車を御覧なされた事です。
又写ってる屋台はなんと!!上町屋台ではありませんか!私も子供ながら公園で6町が競争で
組み立て作業をしてたのを覚えてます



川瀬祭り 本町屋台 昭和29年  
秩父神社前黒門前にあった秩父観光案内所だそうです



これは凄い画像だと思います・・・・子供のお祭りで本来なら囃し手(三色襦袢を着て手に長幌ちょうちんを持ってる)が
前面に出て曳き子を囃すのですが、半ズボンで頭にハチマキのおじさんが自分の屋台のごとく扇子を振ってます
町内の棟梁さんでもあったのでしょうか?棟梁さんでしたらスミマセン!下駄を履いてるようにも見えます
現在こんな事をしたらとんでも無い事になってしまうのではないでしょうか。 でもいったい誰なんでしょう 。本町の人、教えてください



秩父夜祭 下郷笠鉾
人の身長が違いすぎます!?・・・でも撮った角度が違いますか?


          


左は大正11年 右は平成年間、、 撮影角度 、カメラ等お互い違いますよね!絶対!
でも私には大正の囃子手の身長があまりにも小さく見えます・・左(大正)の囃子手の頭が内法長押(柱と柱の間の横桟・鴨居の様な物)の
高さです しかし現在は頭1つ以上大きいです・・大きい人は屋根に頭が届いてます ・・囃子台(昇り高欄横)の囃子手は左画像 
頭が高欄下 右画像は高覧より出てます(50cm以上くらいの差です)・・・・昔の人は小さかったのでしょうか??



秩父峡谷 秩父停車場前○○り 秩父町・・?





祭りとは関係有りませんがこんな絵葉書を見付けましたのでUPします。雪が降った数日後でしょうか?
画像左が南でしょう。家の影に雪が残ってます 奥に見える山の形がどーも長尾根丘陵でしょうか 
今の秩父駅前でしょうか?桶を担いでる人は金魚売り?豆腐売り?電線が曳かれてたり自動車も有るので
大正時代以降でしょう



30年前高校文化祭で造った屋台 組立て解体式



今からちょうど30年前の高校時代 文化祭で造った屋台です・・屋台囃子同好会のメンバー8・9人(内女子2名)と記憶してます
後ろ幕は宮地の「猩猩酔舞」で青い布を女子に縫ってもらい 友達の畳屋さんから畳の縁を頂いて猩猩の着物にしまし
幕の雲 高欄・垂木・破風板の金具は厚紙に金紙を貼って造り軒提灯は「どさん子ラーメン屋さん」からお借りしました
又 各彫り物はダンボール・厚紙等で作り絵の具で彩色しました。天井が低く鬼板が取り付けられずそれは今でも心残りです (設計ミス?)
文化祭に来て頂いたお客さんに「何処の屋台を借りてきたの?」と言われたのにはビックリ!!
教室内を暗くして雪洞(ボンボリ)提灯に灯りを点しテープレコーダーで秩父屋台囃子を流したのは言うまでも有りません


前からの画像です。
   


右の写真に写ってる女子に後ろ幕を縫ってもらいました。屋台の上に7.8人乗ってますが強度は大丈夫だった様です
前の2本の見付け柱の掛札には、学業成就 校内安全 と書いてみたり 警察官にふん装したりで懐かしい写真です
私もこの頃から大工さんになろうと思っていたのですかね???屋台の襖障子も素晴らしい!!





川瀬祭り 2代目・宮の側屋台と久那の八幡神社



    

川瀬祭りで曳かれている宮の側2代目屋台の鬼板と懸魚が久那落合にある八幡神社に使われてる話は前からきいてましたが、
カメラを持って行って来ました。この神社は元々 宮の側に有った神社だそうです・・・(細かい事は学識者の書籍/HPを参考願います)
それらしき彫刻が使ってありました。古い写真と比べると分ります・・屋台の鬼板を虹梁(こうりょう)上の蛙股(かえるまた)に、
屋台の懸魚は神社の懸魚に屋台の後ろ懸魚は内破風(うちはふ)に使ってありました

    ひとつ疑問を感じました   

  

この神社の高欄がどう見ても屋台笠鉾の物と思えることです.宮の側2代目屋台には昇り勾欄が有りませんので他の屋台の物か??
良く見ると飾り金具を外した痕も有りますし 釘が上手く抜けなかったのか頭のとれた釘も沢山残ってます。金具は貴重ですから
どこかの屋台にでも再利用したのでしょうか??金具が有ったところは、トノコ(焼け/汚れ止めの粘土)の痕も残ってます。 右写真の
○印の所は高欄の「たたら束」「込みたたら」の有った場所を埋めて直してあります・・社寺仏閣ですから初めからこんな仕事をする
訳がありませんから・・・寸法を詰めて使ったのでしょうか?・・四隅の高欄束の所を良く見てくれば屋台笠鉾の物か分ると思います
のでもう一度いってきます





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昭和58年池袋にて
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上町屋台組み立て
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半縄笠鉾
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